勝利への道 
〜ムエタイ拳闘士烈伝〜
.アユタヤ時代からトンブリー・ラッタナコシン時代に至るまで、タイの戦士達が剣術・拳闘技を使って国土を守ったことは、尊敬の価値がある。特に、ラッタナコシン時代以降、拳闘の色々な流派は全国の各地にたくさん現れた。概して、古流ムエタイの代表的な流派は、北部はムエターサオ、中部はムエロプブリー、東北部はムエコーラット、南部はムエチャイヤー、という4つ。
但し、プロ・ムエタイ・マッチの始点は、ラーマ6世(ヴァチラウット王 1910〜1939)の時代に立てられたスアンクラープ・ボクシング・スタジウムで開催された大会である。当時には、ムエタイ試合がまだ伝統式の 「ムエカーッチュアッ」で行われた。「ムエカーッチュアッ」とは、(グローブの代わりに)縄を巻いた手で戦う格闘のことである。ムエタイ歴史上の有名な事件は、
でも、1925には、ムエタイ試合を変貌した事件が発生しました。ターサオのぺー・リアンプラセート対チア・ケーカメーンのマッチである。試合では、ぺー・リアンプラセートの双拳がチア・ケーカメーンの喉に突き当てた。チア・ケーカメーンは、気絶して後に死亡してしまった。

この事件は、「ムエカーッチュアッ」の禁止の原因になった。
タイ政府は、「グローブをはめる」「打撃技しか使われない」などボクシングの規則・形式をムエタイの試合に応用してムエタイ試合の形式を変えた。
こんな「現代化」されたムエタイ試合の形式は、一方、関節に古流ムエタイの技(投げ技、関節技を含めて)を衰退させることになってしまった。